2016年04月14日
県歌 「信濃の国」 考
信州人なら だれもが暗唱している歌
それが「信濃の国」
北に 犀川 千曲川 ♪
南に 木曽川 天竜川 ♪
まんべんなく 長野県の東西南北の名川を配分しています
その五章目は
旭将軍義仲も 仁科五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆 この国の人にして 文武の誉 たぐいなく
山と聳そびえて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず
作詞の 浅井冽先生に質問です
すでに故人となられた先生ですから
以下 バーチャル対談
私 浅井先生、信濃の国はいい詞ですね。よくぞあの大変な
時代(明治32年)に発表されましたね。しかも長野県の
あちこちをキメ細かく…
浅 当初は児童が歌うための唱歌として考え、教材に活かそう
と作りました。また深刻になっていた信州南北の対立の融
和策はここにあり!と言葉の絞りだしに苦労しました。
信州人の気質は 強い者に屈せず我理を貫くところがあり
ますからね。人物も4人選ぶのが大変でした
私 文の方で太宰春台(だざいしゅんだい) 飯田
佐久間象山(さくまぞうざん) 松代
武の方で源義仲(みなもとのよしなか) 木曾
仁科五郎信盛(にしなごろうのぶもり) 安曇・高遠
ですか? すると 東信はいない?
ラグビーの五郎丸…いや違いました…仁科五郎信盛さん
かがよくわからないのですが…
今 テレビで真田丸が大ブームでして、上田の盛り上がり
ようがすごいんです。ここは、なぜ東信のホープ真田幸村
さんを採用しなかったのかと…
浅 信盛は武田信玄の五男のために五郎と名付けられた
(武田勝頼とは異母弟)のですね。織田信長の長子信忠の
大軍5万相手に、よくぞ少ない軍勢3千で立ち向かい散った
その潔さが武士の誉れでした。
高遠城の桜も全国区になり後世に称えられています。
私 しかし先生。真田幸村という人選は頭の中にはなかった
のですか?高遠の方には申し訳けないのですが、全国のア
ンケートでも今一番の武将は?というと家康も信長も差し
置いて真田幸村ですよね。
しかも、信玄の子の信盛に比して幸村は純粋な信州人です
し…
浅 幸村も十分考えてはいましたよ。迷いました。
あなたも知ってますか?寛文12年(1672年)に書かれた
軍記物『難波戦記』あるいは、元禄期に書かれた『真田三
代記』ね。あれを読みますと、いずれも、真田昌幸・幸
村・大助の三代が徳川家に対して奮戦するストーリーで庶
民には大いに人気を博ましした。真田十勇士の活躍もこれ
がもとになっているといわれています。
私 なるほど、この読み物は当時すごい人気本でした
浅 一種、荒唐無稽なストーリーが、迷いの原点になりました。
史実に横やりは謹厳実直の道から外れます。
私 しかし、幸村も純粋、信盛も純粋に散っていった武人でした
ここは ♪ 幸村信盛名武将 ♪ と替えてもおかしくない
ですね
浅 なるほど、それでまとめますか(笑)
まとめ 歴史の語り部っていいですね。
真田信繁(幸村)
それが「信濃の国」
北に 犀川 千曲川 ♪
南に 木曽川 天竜川 ♪
まんべんなく 長野県の東西南北の名川を配分しています
その五章目は
旭将軍義仲も 仁科五郎信盛も
春台太宰先生も 象山佐久間先生も
皆 この国の人にして 文武の誉 たぐいなく
山と聳そびえて世に仰ぎ 川と流れて名は尽きず
作詞の 浅井冽先生に質問です
すでに故人となられた先生ですから
以下 バーチャル対談
私 浅井先生、信濃の国はいい詞ですね。よくぞあの大変な
時代(明治32年)に発表されましたね。しかも長野県の
あちこちをキメ細かく…
浅 当初は児童が歌うための唱歌として考え、教材に活かそう
と作りました。また深刻になっていた信州南北の対立の融
和策はここにあり!と言葉の絞りだしに苦労しました。
信州人の気質は 強い者に屈せず我理を貫くところがあり
ますからね。人物も4人選ぶのが大変でした
私 文の方で太宰春台(だざいしゅんだい) 飯田
佐久間象山(さくまぞうざん) 松代
武の方で源義仲(みなもとのよしなか) 木曾
仁科五郎信盛(にしなごろうのぶもり) 安曇・高遠
ですか? すると 東信はいない?
ラグビーの五郎丸…いや違いました…仁科五郎信盛さん
かがよくわからないのですが…
今 テレビで真田丸が大ブームでして、上田の盛り上がり
ようがすごいんです。ここは、なぜ東信のホープ真田幸村
さんを採用しなかったのかと…
浅 信盛は武田信玄の五男のために五郎と名付けられた
(武田勝頼とは異母弟)のですね。織田信長の長子信忠の
大軍5万相手に、よくぞ少ない軍勢3千で立ち向かい散った
その潔さが武士の誉れでした。
高遠城の桜も全国区になり後世に称えられています。
私 しかし先生。真田幸村という人選は頭の中にはなかった
のですか?高遠の方には申し訳けないのですが、全国のア
ンケートでも今一番の武将は?というと家康も信長も差し
置いて真田幸村ですよね。
しかも、信玄の子の信盛に比して幸村は純粋な信州人です
し…
浅 幸村も十分考えてはいましたよ。迷いました。
あなたも知ってますか?寛文12年(1672年)に書かれた
軍記物『難波戦記』あるいは、元禄期に書かれた『真田三
代記』ね。あれを読みますと、いずれも、真田昌幸・幸
村・大助の三代が徳川家に対して奮戦するストーリーで庶
民には大いに人気を博ましした。真田十勇士の活躍もこれ
がもとになっているといわれています。
私 なるほど、この読み物は当時すごい人気本でした
浅 一種、荒唐無稽なストーリーが、迷いの原点になりました。
史実に横やりは謹厳実直の道から外れます。
私 しかし、幸村も純粋、信盛も純粋に散っていった武人でした
ここは ♪ 幸村信盛名武将 ♪ と替えてもおかしくない
ですね
浅 なるほど、それでまとめますか(笑)
まとめ 歴史の語り部っていいですね。

Posted by babatrain at
12:24
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